今年8月30日、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(以下、wam)の標記オンライン講演会を視聴しました。
大変貴重な証言だと思いましたので、概要を紹介します。

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まず、現在、wamで開催されている第17回特別展の制作過程で発見された20分程度の映像を視聴しました。


『ハルモニの告訴状〜「日本軍『慰安婦』制度の責任者を問う』〜と題された映像は、1994年、韓国から来日した元従軍慰安婦の女性たちが東京地方検察庁へ向かう前の記者会見の様子を主に映し出していました。
告訴状の受取拒否については「東京地検は告訴状を受け取れば補償しなくてはならないから、受け取らなかった」ということだと受け止め、弁護士とともに国際社会の常識に照らして「協力してくれる人たちと一緒にこれからも戦っていく」と行動後の会見で話しました。
それが日本の国のためにもなるとしていましたが、いまだ日本は補償を行なっていません。
しかし、この告訴状がきっかけとなり、慰安婦問題の提起は2000年の民衆法廷「女性国際戦犯法定」に引き継がれたことは周知の事実です。


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貴重な映像資料を視聴後、wam元館長の池田恵理子さんが少し補足解説しました。

NHKのディレクターだった池田さんは、在職時、元慰安婦の姜徳景(カン・ドッキョン)さんをメインにすえた『責任者を処罰せよ』という短編ビデオを仕事とは別に個人的に作っていたそうです。

現在広く知られるようになった絵画を手がけただけでなく、優れた分析能力をもつ姜徳景さんにとって『責任者を処罰せよ』が被害者の唯一の思いであり、その思いが映像として残っている1994年2月7日、東京地検に訴えに行った一日に凝縮されているとのこと。
昔の話ではなく、日本政府が何も対応せず、責任者処罰にも一向に取り組んでいないこと。

これらから、戦時性暴力の根絶を願うハルモニたちの思いを今も強く実感するとともに、問題は解決していないので、次代の私たちが取り組むべき問題だと語りかけました。

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本題に入ります。
wam渡辺館長から国連人権機関に慰安婦のことを提起、尽力した方として弁護士戸塚逸郎さんが紹介され、講演会と質疑応答が行われました。


事前に2つの参考資料も配布されました。
戸塚さんご本人による【コラム】「金学順さんの名乗り出から30年を記念して―残された課題―」と、戸塚さんにインタビューしてまとめられた木村幹氏による「慰安婦問題の国際化の一側面:戸塚悦朗の回顧を中心に」という小論文です。


以下、『なぜ「慰安婦」問題を国連ヒューマンライツ(人権)委員会に提起したのか』をPDF資料を見ながら戸塚さんがお話した概要をまとめました。

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(1)「ヒューマンライツ」概念の誕生


まず、聞き慣れない「ヒューマンライツ」という概念の誕生について。
これは1942年1月1日までしか遡れない概念であり、真珠湾攻撃の後、太平洋戦争に突入した頃に米国が各国に協力を求めたことに遡る。


・「生命、自由、独立および宗教の自由を擁護すること並びに自国の領土およびその他の国の領土においてヒューマンライツ(human rights)および正義を保全すること」
・FDルーズベルトが1942年1月1日付連合国共同宣言の前文に「戦争目的に」掲げ、26か国が署名した概念。
・初めて国際文書によって認知された重要な宣言であり、国連憲章と世界ヒューマンライツ宣言の源泉である。


1945年のポツダム宣言に「ヒューマンライツ」という言葉が初めて含まれた。
外務省が人権と誤訳し、日本政府はポツダム宣言を黙殺(受諾せず)、原爆が投下された後に、連合国に対してポツダム宣言を受諾したという経緯がある。
また、1946年、憲法98条2項で「国際法規を遵守することを必要とする」としたが、しかしながら今でも日本では導入されていない。
十分な研究も進展も見られず、ヒューマンライツを保障する国際法を実施するための国内ヒューマンライツ機関も不在。


1948年12月10日、国連総会決議採択され、世界ヒューマンライツ宣言は成立した。


1966年12月16日国連総会は「国際ヒューマンライツ章典」の「自由権規約選択議定書」を採択し、その後、ヒューマンライツ条約は「個人通報圏精度」を導入などして拡大していく。


驚くべきことに、日本は一つも批准してなかった。
・1979年、日本は国際ヒューマンライツ規約の「個人通報権条約」に不参加、社会権規約13条2項などを保留し、不完全批准のままだった。(2012年撤回)


ところが、韓国は日本から後から国連に参加して批准したので、30年越で先輩となってしまった。


ここで、戸塚さんがなぜヒューマンライツに関心を持ったかを紐解く。


精神障害者のヒューマンライツ事件=1984年宇都宮病院事件(看護職員による暴行死)が起きた。
アメリカでは1985年には精神病院の入院者が減っていたが、同時期、日本では逆に年々急増していたにもかかわらず、国内法でも事件が解決される目処も立たなかったため、戸塚さんは調査し、国連のヒューマンライツ委員会の下部機関に報告した。


木村氏による参考資料に基けば、この頃、「違法拘禁をなくすための人権援護制度の確立こそが急務」と考え、戸塚さんは法制度改革を求める運動を積極的に進めていった。
結果的に「社会党と朝日新聞の協力を得て宇都宮病院事件の摘発でき、自由人検挙会と国際人権連盟の協力を得て国連活動は成功」した。


しかし、この難題に取り組んだことによって、戸塚さんは「ほとほと疲れた」と一旦弁護士業に区切りをつけたと当時を振り返り、1989年ロンドン大学へ留学。そこで、LLMコースのローザン・イギニス先生に師事した。


国内の問題を「国連憲章上の手続き」という政治問題化して実現しようとしたら、お金も時間もエネルギーもかかり、実際は普通の個人ができることではなかった。
だから手続きを作ればいいと考え、「個人通報権を導入したら、大事にはならない」と日本政府に何度も警告したが、実現できなかった。
そこで、国内にヒューマンライツが実現できるまでの間、国連へ通報せざるを得ないと日本政府に話した上で、大きな人権問題が起こるたびに国連に報告することを自分の課題にしたと、戸塚さんは述懐する。


結局、1992年、慰安婦問題が大きなヒューマンライツ問題となったので、国連に(口頭で)通報した。それが予想に反して国際的に大きな問題化したのだった。



(2)戸塚さんはどのようなNGO活動をしたのか


木村氏の文献によると、戸塚さんは慰安婦問題に取り組む以前に、「精神医療と人権に関わる活動によって、精神衛生法の改正という具体的な結果を残していた」。


そこで、戸塚さんはすでに慰安婦問題に積極的に取り組んでいた本岡昭次参議院議員から、この問題へのアドバイスと協力を求められることになった。


具体的な経緯としては、1990年6月6日、盧泰愚大統領の訪日を踏まえ、慰安婦について本岡昭次参議院議員による国会質問が発端となった。政府は調査を拒否。
盧泰愚大統領が来日した際も慰安婦について調査を要求したのに、政府の委員会が「民間が連れて歩いただけで国がやったことではないから、調査できかねる」という国会答弁した。


この報道で、韓国国民は怒利、1990年10月17日、韓国諸団体の動きが始まった。
日本政府に対して6つの要求を含む公開書簡を出した。
人権侵害として非常に重要だが、しかし、国際法上の処罰要求が入ってなかった理由が戸塚さんにはわからず、考えた。
本岡先生によると「被害者がいないから、法律上の問題にならない」と解説していたが、1991年8月14日、金学順さんが名乗りでた。


では、これを受けてメディアはどう動いたか。
1992年1月11日、朝日新聞が慰安婦問題をトップに書いた。
後に、実は政府は戸塚さんたちよりも先に調べていたことがわかった。


当時の宮澤喜一元首相が日本政府として初めて慰安婦関連の公式謝罪を発言した。
「日本軍がしたことを否定できない」と、つまり前の国会証言を覆した。


このとき、「ついに国連に報告する段階だ」と戸塚さんは考えた。


1992年2月17日、本岡先生の見解に意見を申し上げ、国連ヒューマンライツ委員会に訴えた。
「第二次大戦最中、日本政府は少女および女性を連行し、性の奴隷として使役した」。
戸塚さんは一回報告すればいいと思っていたが、予想に反して大きな反響を呼んだ。


ここで、戸塚さんのコメント(2021.8.12)を引用する。
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ヒューマンライツを侵害する戦時の対女性暴力被害の象徴となった金学順さんの訴えの波及効果は、驚くほど巨大なものでした。
戦時の対女性暴力にとどまらず、世界中の性暴力被害を受けた女性たちを勇気づけました。国際社会は被害者の訴えに積極的に答えました。

女性たちの訴えは、国連世界人権会議(1993年)や国連世界女性会議(1995年)でも取り上げられました。
ついに、1998年に採択された国際刑事裁判所ローマ規定では、性奴隷行為について、戦争犯罪や人道に対する罪をはじめとする国際人道法違反の行為であると規定しています。

また、2005年国連総会は、「国際人権法の重大な違反および国際人道法の深刻な違反の被害者に対する救済および賠償の権利に関する基本原則とガイドライン」(国連原則)を採択し、金学順さんのようなヒューマンライツの重大侵害の被害者を救済すべきことを明らかにしたのです。
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彼らは時間をかけてでも一歩ずつ確かに慰安婦たちの思いを国際社会へ訴え、問題を顕在化している。


この間の国際活動における自らのNGO運動について戸塚さん本人のコメント(2021.8.12)も引用する。
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慰安婦被害者が提起した日本政府に対する要求をどう実現するかという運動の取り組みも目覚ましいものがあります。
筆者は国連NGOの代表として、その運動の一端を担いました。
1992年の国連人権委員会で、韓国人の「日本軍慰安婦」被害者へのヒューマンライツ侵害問題について、これを国際慣習法違反の「性奴隷」として提起し、その解決にむけて国連が努力するよう要請しました。


1995年国連人権小委員会が「慰安婦」問題(その他の奴隷類似行為を含む)で初めて日本を名指しし,日本政府がスタートさせた民間募金のための民間基金中心の対策を「不十分」と批判して、この問題の解決のために「行政審査機関」設置を求めました。


対女性暴力特別報告者クマラスワミ報告書(1996年)も、戦時性奴隷等特別報告者マクドゥーガル報告書(1998年)も、慰安婦被害者を「軍事的性奴隷」と位置づけ、日本軍・政府による奴隷禁止違反を一致して認め、日本政府には事実を認め被害者に対して謝罪・賠償する法的責務があると判断しました。
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1994年、ハルモニの告発状提出までの政府の動きはどのようなものだったのか?


1993年4月4日、宮澤内閣の最後の日に出た「河野談話」が注目された。
この談話は非常に重要な約束ごととして国際的な発言(認識)となったので、日本政府は撤回できないようになっている。


しかしその後、日本政府(は実は外務省)がハルモニたちへ緻密に反論してきた。
それらをも戸塚さんたちは法律的かつ戦略的に一つずつ覆してきている。


では、1994年ハルモニの告訴状の効果はどうだったか?
不受理がはっきりしてるから、不処罰がはっきりした。
日本政府は完全黙秘を続けている。
そして、証言していた兵士が黙るようになった。世論は一変し、同情論が萎んだ。
つまり、パラダイムシフトが起きてしまった。


再度、戸塚さん本人のコメント(2021.8.12)を引用して、これまでの日本政府の対応を俯瞰する。
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日本でも、1994年現代奴隷制作業部会による国連勧告を受け容れて、慰安婦被害者を支持する動きがありました。
常設仲裁裁判所による仲裁解決を求め、日韓の弁護士も支援団体も努力しました。
また、多くの国会議員も故本岡昭次元参議院副議長が主導した戦時性的強制被害者問題解決促進法案の実現のために懸命に働いたのです。


ところが、これら国連と被害者側が一致して求めた解決方式には、保守政党と歴代政権が協力せず、日本による被害者の救済は実現しませんでした。


日本政府も慰安婦問題を公式的に認めました。
河野洋平官房長官談話(1993年)は、被害者への強制等の事実関係を認めました。
菅直人首相談話(2010年)は、日本が韓国の国と文化を奪った併合条約は、武力を背景して韓国の人々の意に反して結ばれたものだったことを認めました。


ところが、国家補償に代わる措置として立案されたアジア女性基金政策(1996年)も、日韓外相合意(2015年)も、被害者側全体の納得を得るための努力が不十分で、問題解決に至りませんでした。
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果たして国連はどう対応したか?
さらに審議を続け、被害者の救済、賠償、ガイドラインを作ってきた。
このような世界の流れの端緒を作ったのが、告訴告発のキャンペーンだと戸塚さんは考える。


2011年8月30日、慰安婦が賠償請求権が協定によって消滅したのか?という解釈を国際仲裁に解決すべきだと韓国政府の不作為を韓国憲法裁判所が宣告した。
つまり、処罰義務違反という問題がある。


2000年の民衆法廷「女性国際戦犯法定」から20年後の現在、現段階で残された「慰安婦」問題の課題をどのように考えるか?


先に戸塚さん本人のコメント(2021.8.12)を引用する。
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最後の手段として、慰安婦被害者12人は、日本政府を被告として韓国の裁判所に日本による法的責任を明確にするための訴えを提起しました。これに対して、日本政府は、「主権免除論」(国家は主権を有し、原則として外国の裁判権に服さないという国際法上の原則)を盾にとって応訴しませんでした。そのうち、6人が死亡しました。


ソウル中央地方法院は、2021年1月「慰安婦」勝訴判決を言い渡し、原告1人当たり1億ウォンの慰謝料支払いを日本政府に命じました。また、慰安婦制度について「日本帝国によって計画的、組織的、広範囲に行われた反人道的犯罪行為であり、国際強行規範に違反した」と断じました。国家主権免除の例外として、ヒューマンライツを保障する国際法の発展を象徴する画期的な成果で、国連原則に沿うものでした。


しかし、日本政府は、この判決が国際法違反だと非難しています。また、4月21日に「日本軍慰安婦」被害者が日本政府を訴えた第2次訴訟で、ソウル中央地方法院の異なる裁判部が、国家主権免除論を採用して、原告の訴を却下する判決を言い渡したのです。原告らはこの判決を不服として控訴し、状況が複雑になりました。


日韓両政府が、外交的に早期解決するためには、日本政府が韓国政府の求める被害者中心主義の原則に沿う誠実な謝罪を突破口にして、以下のハードルを越える必要があります。1993年8月河野洋平官房長官談話及び2010年8月菅直人首相談話から再出発し、①まず、過去とりわけ植民地支配の歴史的な事実を直視すること。②戦時強制動員被害のような植民地支配の責任を引き受けること。③その過去の記憶と責任を未来に継承することがそれです。


ところが、現日本政府は、韓国側の国際法違反を責めるだけで、これらの対応を考慮さえしていません。このまま放置すれば、日韓の和解は実現できません。


私たちは、金大中大統領と小渕恵三首相の間で成立した「日韓共同宣言―21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」(1998年)が、両国国民に対し、新たな日韓パートナーシップの構築・発展に向けた共同の作業に参加するよう問いかけたことを想起すべきでしょう。 政府任せにせず、民間ベースであるべき紛争解決のありかたについて、真剣に研究を始めるときが来たと思います。
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今後について、戸塚さんは下記のとおり、平たく直近の考えをまとめた。


1991年8月14日、金学順さんは「日本軍慰安婦」(性奴隷被害者)としての被害体験を公開の席で証言し、世界の人々に衝撃を与えた。
金学順さんの勇気ある行動は、現在の「ミートゥー」運動の原点となったと評価するし、非常に大きな流れとなって、世界女性会議で討議され、ローマ規定に実現し、性奴隷の処罰できるようになったと考える。


問題は、日本の裁判所では最高裁で慰安婦問題は全敗していること。
しかし、韓国の裁判所で慰安婦が訴えたことが今年1月、判決が出るなど、また事態は動いている。

今後、日本政府はヒューマンライツを受け入れるか否か。
戸塚さんがなぜ慰安婦問題を国際社会に提起したかというと、日本政府がヒューマンライツを人権機関に委ねるのを言い張ったことが原因である。
これを克服できるのか。
韓国裁判所は主権国家について、いずれ統一見解をとるだろうが、ヒューマンライツ概念がどこまで「国家間の主権国家論を国際的に認められていくか」が問題の焦点となるだろう。


政治的な解決はできないことはない。
一番大事なことは、「被害者に対する謝罪」を日本政府がすること。
被害者中心主義、いわゆる「被害者が納得できるかどうか」が突破口となる。


1998年、菅直人首相が「慰安婦問題は日本植民地化であったこと」と言ったことや河野談話をヒューマンライツに照らして、いまの菅首相が明確に謝罪することが大事なのである。


植民地支配の責任問題は、この慰安婦問題を引き受けることだ。
安倍首相は「昔のことを謝るのは止める」と言ったが、責任を未来に継承することによって問題解決を図るのが重要だ。


いまの日本政府は韓国政府の姿勢を責めるだけなので、これでは解決できないし、真相究明はできない。
国際法上、総合的に評価してやり直すためのベースは、1998年、金大中が共同宣言した「日韓共同宣言―21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」これに立ち返るべきと思うし、この宣言は共同作業を国民にも呼びかけている。

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質疑応答については割愛します。


質疑応答後に次代へ託した、戸塚さんのメッセージをまとめます。
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まず、上記現状を踏まえ、次の選挙で野党がどうするかが重要と考える。
もう一つは、日本にも宮沢元首相や河野元官房長官、など、自民党でありながら立派な政治家がいるし、結果も出している。
安倍時代は一時期、全部消せたかというと河野談話も消せていない。
吉見さんの研究も植村さんの話も捏造とは思わない。
前の安倍政権に忖度した可能性があり、一時的なものがあるので私たちがしっかり論議を続けていくことが可能であり、いずれ教科書に載る可能性がある。
運動を続けることが大切なのだ。
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講演会の最後には、「そのためにも長いスパンで考えねばならないから、記録を残し、何十年後に記録が読めるように私たちは力を尽くさねばならない」と渡辺wam館長は締めました。


以上、長丁場の講演会でしたが、戸塚さんが国際世論や国際社会を味方につけて、なかなか前に進もうとしない日本政府を相手取って戦ってきた姿勢に敬意を表するとともに、日韓両国の友好状態を取り戻して相互理解を深め、慰安婦問題の早期解決を一段と願うようになりました。



【参考資料】
戸塚悦朗「金学順さんの名乗り出から30年を記念して―残された課題―」2021.08.12, KOREA.net
木村幹「慰安婦問題の国際化の一側面:戸塚悦朗の回顧を中心に」Journal of International Cooperation Studies, Vol.29, No.1(2021.7)