「水非常」をご存知ですか?
あまり見かけない言葉ですが、「ミズヒジョウ」と読みます。
水害とは異なり、水没事故を指します。


その水非常(水没事故)が、1942年2月3日、山口県宇部市長生(チョウセイ)炭鉱で起きていました。
当時の宇部市民に詳細は知らされず、その後も歴史から葬り去られようとしていました。

しかし、約50年後の1991年、この事実を重く受け止めて歴史に刻むため、「長生炭鉱の“水非常”を歴史に刻む会」が結成されました。

この水非常が起きた1942(昭和17)年は、第2次世界大戦時下で燃料のために石炭が少しでも多く必要な時代でした。
前年12月8日、日本軍は真珠湾攻撃を行っています。


宇部の長生炭鉱で起きた水非常の重い事実とは何か。

朝鮮半島から安い労働力として騙されたり強制的に連れてこられたりした人たちが、危険な重労働をさせられた結果、水非常の犠牲になったのです。

それだけではなく、彼らは未だ深い水底に沈んだままで遺骨は収集・安置されていません。

2022(令和4)年現在、日韓両国で第2次大戦中の徴用工問題は未だに解決されていませんが、それに通じることです。


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Kプラネットは、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下「刻む会」)の顧問を務める内岡貞雄さんに貴重なお話を伺えましたので、ここにご紹介します。


「刻む会」の歴史や活動については、ホームページに詳しく紹介されています。
https://www.chouseitankou.com/


「刻む会」は上記の重い事実を歴史に刻むため1991年に結成され、以下の3つを目標に掲げました。

①犠牲者全員の名前を刻んだ追悼碑の建立
②ピーヤの保存 ※「ピーヤ」とは排気・排水筒のこと
③証言、資料の収集と編纂 
 

2013年2月には、目標の一つである①追悼碑を建立しました。
会の結成から20年、事故発生から実に70年の歳月が流れていました。


そして、これを契機にさらなる大きな課題である”遺骨の収集”という大きな問題に立ち向かうため、14年に新しく「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」を発足させました。

「水非常」をカッコで括らなくなったわけですね。
当初の結成から30年間も活動を続けてこられた、その熱意が国境を越えた繋がりを作ってきたそうです。


内岡さんにもさまざまな縁が縁を呼んで、人権問題に取り組む難しさ厳しさを乗り越えてこられてように思えます。


遺骨収集はとても一口では語れないほど、大きな問題です。
まして、海底に沈んでおられる遺骨を収集するとなると莫大な資金が必要となります。
収集するだけではなく、遺族・祖国に返還することも目指しているとのこと。


80年を経てなお海底に生埋めになった方々の無念には胸が塞がれます。
それは国境など関係ありません。

記憶を辿れる遺族や関係者も少なくなっているそうです。
今後は、フィールドワークで生の声を聞ける貴重な機会も減っていくでしょう。
しかし、「刻む会」でも若い世代の日韓交流が行われていることは数少ない希望といえるのではないでしょうか。


個人的に「長生」とは長生きすることなのに、他国で過酷な運命を辿ってしまった方々への同情を禁じ得ません。

戦時強制労働動員の悲惨さを語り継ぐためにも、Kプラネットは「刻む会」の活動を応援していきたいと考えています。


長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会