2022年4月29日、昭和天皇誕生日に「wamセミナー 天皇制を考える(7) 天皇と戸籍」をオンラインで視聴しました。
講師は、早稲田大学非常勤講師の遠藤正敬さん。
日本国の法制度の面から戸籍について研究していらっしゃるとのこと。
専攻は政治学だが、戸籍は国家と個人の管理関係なので、政治学の視点から研究してきたそうです。
戸籍にまつわる素朴な疑問と、そこから分かる日本国の不思議な成り立ちを平易に解説いただいたと思います。
無知の知となりえたかわかりませんが、少しは知ることができました。
概要を資料に沿って、下記にまとめました。
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■天皇にはなぜ戸籍がないのか?■
天皇に戸籍がないことについて、その”理由”を書いている書物や資料はない。
*2019年の代替わりの際、天皇と戸籍について(遠藤さんは)書籍を発行した(が、売れてない)。
・天皇と一般国民は何が違うのか? →血筋。「万世一系」の皇統。
・日本の「戸籍」とは:出生、死亡、結婚など個人の身分関係を「戸」を単位として登録している。
・「日本国民の証明とされる」戸籍が、天皇と皇族にはないことが当然とされているのは、なぜか??
1 戸籍の上に立つ存在―天皇家の人々
①「臣民簿」としての戸籍
●戸籍とは:個人の出生、死亡、婚姻、離婚、養子縁組などを家族単位で登録。
・国民登録、同じ「氏」の夫婦と非婚の子が単位。
・欧米には存在せず。
・今日では中国と台湾のみ:中国は居住登録に近い。台湾は世帯単位の登録。
・7世紀の古代律令国家が始まり:全国統一の戸籍を編製。
670年庚午年籍(こうごねんじゃく)、690年庚寅年籍(こうりんねんじゃく)
→徴兵、徴税のため人民を“資源”として把握する目的。浮浪人の取締りにも利用
⇒戸籍に登録される者=天皇の「臣民」という図式がすでに成立。皇族も含めていた。
*日本書紀には4世紀にはあったとされるが史実にはない。
・現在の戸籍の原型は、明治1871年制定された「壬申戸籍」。
→日本国内に居住する者を天皇の「臣民」として登録。 →つまり、これぞ法的な「元祖日本人」!
=「臣民簿」という戸籍の本質を宣明している。戸籍を通じて表象される「一君万民」。
・戸籍には不要な概念が多い。例)「本籍」居住地を意味するものではない。
・現在、履歴書には「本籍」を記載する箇所がなくなったため、自由に移せる「本籍」は無意味。
②なぜ天皇家には氏も姓もないのか?
・そもそも戸籍がない天皇から賜る「氏」「姓」。
・現在、民法上の「氏」と「姓」に差異はない。
・氏(ウジ)は血縁を基本とする集団(蘇我、物部、藤原など)の呼称。
・姓(カバネ)は氏に授けられる官位的称号(臣、連、朝臣など)→中世以降はともに「家名」と化した。
>>中国の場合:君主の姓の交替は王朝の交替を意味した(易姓革命)。これは儒教の思想。
*日本の天皇は「万世一系」であり、天皇家は日本唯一の王朝。氏姓による他王家との区別は不要。
・美濃部達吉のライバル憲法学者、上杉慎吉によれば、「皇室に氏姓苗字あることなし、臣民と対等並立する一家に非ず」(『国体論』有斐閣、1925、681頁)
→天皇家は一般国民の「家」とは次元が異なる「公正無私」の存在。
・神道研究家の今泉定助によれば、「氏姓は他人と区別する必要から出来たものであるけれども、天皇は至高 至尊絶対にあらせらるるから、他と区別する必要がない。それで氏も姓も皇室には必要がないのである」(『皇道講話』山洲堂書店、1934、95頁)
・歴史学者(古代史専門)の和歌森太郎によれば、「皇室が姓をもたれなかつたことは、姓が私の意識を支へるものなることを 思へば、早くから無私の立場を自覚されたことを示す」(「日本における主権概念の変遷」『和歌森太 郎著作集7 庶民の精神史』弘文堂、1981所収、364頁)
・「宮号」:宮号に法的根拠はなく、あくまで慣例。法令や官報や告示など公式文書には使用されない。
・「御称号」:天皇および皇太子の子女が出生時に付けられる名称。宮号とは異なり、世襲はされず、あくまで個人名。
2 臣籍降下とは何か?
・「君臣」を分かつ戸籍の壁。
・皇籍を離脱し、「臣民」の戸籍に入る=「臣籍降下」(賜姓降下)。
・武家の棟梁となった源氏、平氏は天皇の子孫というルーツが重要
→日本社会は血統や血筋がモノを言う社会という表れ。
・降下後に皇籍復帰した例は多く、即位した例もある。→宇多天皇。醍醐天皇(臣籍として出生)
・明治からは降下した元皇族が皇籍に復帰することは禁止→「君臣」関係の絶対化
●戦後のGHQによる改革
★1947年10月、皇室会議で伏見宮、久邇宮などの11宮家51名の皇籍離脱を決定。
・「宮」号は「氏」に近いものと考えられる。
→同年 9 月に「皇族の身分を離れた者及び皇族となった者の戸籍に関する法律」制定。
同法の第 1 条:「皇室典範第 11 条の規定により皇族の身分を離れた者については、新戸籍を編製する」と規定。
●1947 年制定の現行皇室典範の下、皇族の皇籍離脱が生じる理由
①皇族女子の一般国民との婚姻
②本人の意思のある時(第11条第1項)
十五歳以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により皇籍を離脱できる。
→旧皇室典範時代よりも本人の意思による皇籍離脱が可能となる皇族の範囲が拡大された
③やむを得ない特別の事由のある時(第11条第2項)
親王、内親王、王及び女王は「やむを得ない特別な事由」がある時は皇室会議の議により皇籍離脱できる。
*その理由は、「皇室としての品位を非常に傷つける場合」や「皇族が非常に増える場合」など(園部
逸夫『皇室法概論』第一法規出版、2002、556 頁)。
④皇籍を離脱する親王または王に妃、直系卑属とその妃が随従する時(第 13 条第 1 項)
つまり、一般国民と同じになると言う意味。
⑤非皇族出身の親王妃、王妃が夫を亡くした時(第14条第1項)
⑥非皇族出身の親王妃、王妃が離婚した時(第14条第3項):自動的に失う。
・「家」の原理と同じ。
・それぞれの理由で、皇族の身分を失った者は新たに戸籍を編製する。4のように夫婦・親子で同時に皇籍離脱した場合は、離脱した元皇族の新戸籍にその配偶者と子が入る(1949年5月「皇族の身分を離れた者及び皇族となつた者の戸籍に関する法律」改正(1949年法律第73号)。
3 皇統譜(こうとうふ)とは何か? 〜謎多きその内容
★天皇家の系図は皇統譜⇔「臣民簿」の戸籍
・1889年 「旧皇室典範」にその存在が明記される。内容は未完成。
・1926年 「旧皇統譜令」で「皇統譜」が法制化された。
・完成は昭和以降。
*** 資料 ***
今上天皇が明治天皇の頃の「皇統譜」。
「御所生 中山慶子」が生みの母。
「御母 皇太后●子」が正妻。
蔓延元年・・・「准后御実子・・・」認知したということ。
*歴代7割は側室の子供が即位している。
*大正天皇は庶子が即位したことになる。
*宮内庁のHPでこれら公文書は公開されている。
*** *** ***
●「皇統譜」という名称に隠された意味 〜「籍」は皇室に対する禁句
・旧皇室典範制定の中心人物、柳原前光(「帝室制度取調委員会」委員長。明治天皇の典侍・柳原愛子(大正天皇の生みの母)の兄。
つまり明治天皇の義兄)の草案にあった「牒籍」(ちょうせき)の文言。
・井上毅(皇室典範や憲法など近代法制度の立役者)は上記の柳原案を猛烈に批判。
「籍」の字は臣民の「戸籍」と同じ意味なので、「皇族籍」では「尊卑」=区別が混然となるという批判 。
あくまで「戸籍」は「臣民簿」であり、天皇家にその語を用いることは「君臣」の別が溶解する。
4 天皇、皇族は「日本人」か?
・天皇家に戸籍がないならば、日本国籍を証明する手段は何か?
●戸籍が「日本人」の証明となるのか?
・1898年戸籍法:第170条第2項 日本ノ国籍ヲ有セザル者ハ本籍ヲ定ムルコトヲ得ズ
→つまり、民法上、外国人は戸主になれず、「氏」もない。
戸籍に登録されるのは日本人のみ ⇒ 1914年戸籍法から“不文律”として削除
◎天皇、皇族の国籍について
●日本政府の見解(現行憲法)
・1947年7月31日衆議院司法委員会:憲法第 14 条の「国民」という観念の中に天皇が含まれていると解釈されるが、憲法第 1 条に おいて天皇が「日本国の象徴」であり、「日本国民統合の象徴」という「特別なる地位」にある。
●学説でも定説なし。参政権や婚姻の自由など基本的人権はもたないという解釈はほぼ共通。
学者・初宿正典、三笠宮寛仁(無戸籍者と言及)などの諸説あり。
●天皇家には住民票もなし。したがってマイナンバーもなし。
現・住民基本登録法にも天皇及び皇族には「適用しない」ことが明記されている。
●植民地と戸籍
・植民地の出身者は国籍上は「日本人」とされたが、戸籍は内地と区別された。
・「内地人」「朝鮮人」「台湾人」のうち、「内地人」が広い意味の日本国籍。
1918年議会、当時の植民地政策の中心的役割を担った?山田三良法制局参事官の答弁
★戸籍を植民地とで区別した意味は? 〜戸籍は“正統な日本人の証し”という思想
「壬申戸籍」以来、「元祖日本人」の証明となってきた「内地の戸籍」は植民地と同一化してはならない。
・「家」の原理が生み出す「民族」の変換―フィクションと化す「血統」
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★「民族」のカテゴリーは血統ではなく戸籍(家)で決まっていた
・今年70周年の日本が主権を回復した、1952 年 4 月 28 日サンフランシスコ平和条約発効。朝鮮、台湾、樺太は正式に日本から独立。
・同年 4 月 19 日法務府民事局長通達。平和条約発効時点で、朝鮮戸籍・台湾戸籍に入ってい た者は「朝鮮人」「台湾人」。内地戸籍に入っていた者は「日本人」となった。
・つまり、それぞれ選択権を与え(られ)なかった。
5、天皇家の家族法 〜超法規的存在であり続ける一族
①天皇家の家族法
・ 天皇家の家族関係(婚姻、離婚、成年など)は、戸籍法も民法も適用されない。
・代わりに「皇室典範」はじめ、皇室法によって処理。
→天皇家の婚姻-個人の自由ではない(秋篠宮眞子の例)。
ただし、男女で大きな違いがある。
②皇族女子の運命:婚姻によって「皇族」の身分は左右される
・皇室典範12条:非皇族との婚姻で皇籍離脱するのは女子のみ
・皇族女子+非皇族男子の婚姻をめぐる疑問
→妻が夫の氏を名乗る婚姻を拒んだ場合、夫婦の戸籍の氏はどうなるのか?
→離婚したら妻(元皇族)の戸籍はどうなるのか? 実家(天皇家)に復帰できるのか?
6 家族の規範としての天皇家
・日本の「家族国家思想」:天皇は「日本」と言う家の「家父」、臣民は「赤子」と言う「国体」
・制度としての「家」
●明治民法上の「家」は「戸籍」と同義 →戸主と同じ戸籍にある親族集団が「家」
現在、同居の有無は関係なし。紙の上の「家族」。
・明治以降、天皇家は一般国民にとって“家族の道徳的規範”とされてきた。
・一般国民の家族倫理と矛盾する慣習:
一夫多妻制(大正天皇まで)、養子(皇族間)の禁止、隠居の禁止(政争を阻止するため譲位ができない)
つまり、「万世一系」の皇統を維持するという国家的な目的から正当化されていた。
・祖先との血縁を証明するものが戸籍⇒天皇崇拝が「血」を尊ぶ気風を強める。
→万世一系(家の永続性)=祖孫一体が「家」の価値 ⇒家の系譜としての「戸籍」の美化
■おわりに:天皇制と戸籍制度のゆくえ■
★天皇制と戸籍制度:日常生活に不可欠な制度ではないが、「伝統」として存続
・価値観の多様化する現代社会において、民主主義との整合性をもつのか?
天皇制→男系男子主義、譲位の禁止、婚姻の不自由
戸籍制度→夫婦同氏の原則、排外主義、「非嫡出」の記載(出生届)
・支え合って「日本」をつくってきた二つの制度。
・君臣関係の絶対性を醸成する装置である戸籍が廃止されたら天皇制も揺らぐのか?
<<質疑応答:略>>
========== 以上