アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)が表題のオンラインイベントを開催しました。
ちょうどお盆の最中だったのでリアルタイムの参加はできなかったのですが、事務局が用意してくださった環境で後日視聴できました。
その概要をメモがわりに記載しておきます。
2時間強のイベントは、wamの渡辺館長が司会を務められ、質疑応答などもまとめてくださいました。
2部構成の具体的な概要は下記のとおりです。
◆◆◆第1部「追悼のつどい 亡くなられた被害者に思いを馳せて」◆◆◆
2017年から足掛け5年にわたり毎年開催されてきた「追悼のつどい」は、初めてオンライン形式となったそうです。
この一年間に訃報が届いた女性たちは16人。
韓国3人、フィリピン3人、東ティモール3人、インドネシア2人、台湾の匿名の方々、中国1人、それぞれについて、wam関係者や直接関わった支援者たちが思い出や追悼メッセージを読み上げました。
画面に映し出されたwamの入り口の壁を埋め尽くす被害者たちの顔写真は、名前を公表している人たちで、亡くなられた方には白い花が飾られています。
今回読み上げられた方々のうち、壁に写真がある人にはメッセージが読まれるたびに白い花が飾られていき、引き続き活動の支援を訴えていました。
◆◆◆第2部の「トーク・イベント 金学順さんの思いをつなぐ」◆◆◆
wamの渡邊美奈館長が司会者を務めていました。
まず日本軍慰安婦として最初に名乗りを上げた人、金学順(キム・ハクスン)さんの足跡を紹介されました。
僭越ながら、金学順さんの足跡を一言で表現すると、「想像するだけでも大変辛い苦難の人生を歩まれた方」でした。
次に、韓国の太平洋戦争被害者補償推進協議会代表・李煕子さんとオンラインで繋がりまりました。
韓国植民地歴史博物館が制作した字幕付きの映像によって、金学順さんの人柄などが若干25分間のビデオで紹介され、最期まで公私にわたって交流があった李煕子さんが人柄などを語りました。
金学順さんは質素な暮らしをしていたことや綺麗好きなことなど、個人的な嗜好も含めて証言しています。
その性格から、彼女が「決してお金を得たいために日本政府に対して提訴したのではない」ことを言いたかったようです。
最晩年、金学順さんは肺が半分しか動いてない体調を押して活動をしていたことからも確信しているようでした。
ビデオ放映の後、李煕子(イ・ヒジャ)さんとwamサイドとのオンライン対談が実現しました。
質疑応答の主な内容は下記のとおりです。
李さん曰く、「いつも彼女(金学順さん)が伝えたかったことは、日本が戦争を起こして慰安婦を連れて行ったことについて、日本政府がきちんと教育してない」ということ。
さらに、「二度とこのようなことが繰り返されないよう、裁判によって慰安婦を認定され、謝罪を受けたいと彼女はいつも言っていた」。
金学順さんは、自分が亡くなったら慰安婦について語り継ぐ人がいなくなるのではないかと危惧していたけれども、今日のオンライン講座が開催されたことによって、李さんも心配はなくなったと語っていました。
諦めるなというメッセージを金学順さんから諭され、30年以上の活動を続けた李さんの話は、とても真摯で、金学順さんが伝えたかったことを脚色することなく伝えられたように思えます。
70名以上が参加している本講座を主催したwamとしては、「加害国日本に住む私たちは、決してなかったことにさせないために、そして再び同じ過ちを起こさないために、記録を残し、記憶を継ぎ、侵略戦争と植民地支配での加害に向き合う社会にするための努力をこれからも続けなくてはいけないと、意を強くする機会になりました。」とまとめています。
また、質疑応答の最後に「金学順が、芸事を学ぶ妓生学校に通ったことだけを引き合いに(遊女と誤って解釈されて)ひどいバッシングを受けたので、その名誉回復することが私たちの課題でもある」とwam渡邊さんが語ったのは、最後まで孤高の姿勢を貫いた彼女への敬愛を物語る印象的なお話でした。
以上が、2021年8月14日(土)、wamによって配信されたオンラインイベントの概要です。