株式会社たびせん・つなぐによる、「2021年たびせん・つなぐオンライン企画」の「世界の平和博物館を訪ねるオンラインの旅〜韓国と被災10年の福島」第2回にも参加したので概要をレポートします。
「安斎育郎国際平和博物館ネットワーク代表コーディネートによるオンラインで訪ねる韓国と日本」と題された今回の企画。
2月6日第1回はナヌムの家、イ・オクソンハルモニとライブで懇談、交流する企画でした。
国際室長の矢嶋さんによる遺品館などの案内や進行中の改革の状況を紹介。
第2回はWAMの渡辺美奈館長による、現在wamで開催されている天皇の戦争責任に焦点を当てた特別展の案内でした。
渡辺館長はwamを来訪したことがない人たちのために、まずwamのエントランスに掲示された179名の墓碑銘ならぬ肖像写真を紹介されました。
日本軍の性奴隷制度、戦後の厳しい目を耐えて偏見と戦い、wamでの写真掲示を承諾した人たちだけでも179名。
#私も数度足を運んでいますが、具体的に女性たちの顔写真を前にすると圧巻です。きっと氷山の一角なのに、これだけの人たちの人生が踏みにじられたのだと間近に見ると胸が苦しくなります。コロナ禍の下、来館者は激減しているようですが、それでもライブ配信された当日も数名が特別展を見学していたそうです。
ここでは渡辺館長の解説の概要を紹介しますが、詳細はぜひwam本館で確認する方がいいと思います。
●wamの2021年17回特別展は「天皇の責任〜忘却に抗する声」
「日本軍性奴隷制の責任者を裁く女性国際戦犯法廷」が東京で開催された2000年12月から20周年を迎えた今年、wamは「女性国際戦犯法廷アーカイブズ」を公開するに至りました。
この女性たち主導で開かれた民衆法廷「女性国際戦犯法廷」の実現に向けて奔走し、法廷を見届けて他界した、故・松井やよりさんの思想を受け継ぎ、「戦時性暴力を戦時性暴力を根絶して暴力のない平和な世界をつくるための拠点をつくってほしい」という遺言の下に多くの支援を受けて、「女たちの戦争と平和資料館」(wam)が開館されたとのこと。
*wamが2005年に開館した経緯は本特別展サイトに詳細があります。
https://archives.wam-peace.org/wt/intro
wamはその設立経緯から、国際女性戦犯法廷について過去2回特別展を開催し、今年は第3回となるそうです。
特別展はいくつかのブースに分かれてパネルが掲示されています。
パネルに記載されていない重要なことをライブ配信で渡辺館長は淀みなく解説しました。
ちなみに、民衆法廷とは国家が責任を果たさないのであれば国際的民衆が責任を果たそうという法廷であり、wam開館の礎となった「女性国際戦犯法廷」の肝は、日本軍末端の兵士を裁くのではなく、日本軍の性奴隷制の責任者を探しだし、処罰する法廷だったとのこと。
本特別展の最初のブースでは、一人の韓国人女性がクローズアップされています。
その経歴は悲惨の一言で済まされません。
富山の軍需工場から脱走した際、慰安所へ送られ、望まぬ妊娠・自殺未遂などをしながら生き抜き、1994年告訴状を東京地検へ提出し、初めて日本軍を訴えた7人の女性の一人です。
ブースには憲兵に強姦された本人の原画を掲示しており、韓国の「ナヌムの家」(元慰安婦が生活している施設)の画集も置いています。
●パネル「法廷を作った人々」
加害国日本の代表として参加した故・松井やよりさんなど、「国際戦犯法」を実現した様々な人を写真付きで掲示しています。
これらの掲示には海外からも協力・支援を受けており、展示会中は賛同者らが特別展を実現するために賛同金を払った経緯や気持ちを綴ったメッセージのフォルダも置いてあるそうです。
1990年代、ドイツの東西戦争が終わった後にもかかわらず、次々と民族紛争などが起こり、第2次世界大戦後も性暴力が戦犯裁判で裁かれなかった不処罰の連鎖は、21世期に入った現在も性暴力が行われる要因であるとしています。
●「女性国際戦犯法廷」では、どのような国が、どのような起訴状を作ったか
参加したそれぞれの国が被害者に対して、誰に責任を取らせるかを法廷で明示したそうです。
2000年、南北コリアによる南北首脳宣言が行われた時、驚くべきことに両国は共通で起訴状を出しました。
他には、例えば台湾と中国が別々に起訴状を作り、東ティモールも参加。
インドネシアで証言した女性に対しては、バンドンという地域の責任者は珍しく日本の海軍第16軍団であり、その上のまたその上の上司に天皇がいるという具合に。
2000年12月8日開廷した主席検事は女性。
当時、現職はユーゴ法廷の安保理が設置したジェンダーアドバザーだったとのこと。
それぞれ最高裁の判事になったような、錚々たる経歴の4人の女性判事たち。
実はもう一人、本当はインドから来られるはずだった著名な判事が参加できなかったそうです。
被告・日本からは誰も出席せず、日本で行われた法廷助言者3人の日本人は日本軍慰安婦裁判でも尽力した人たちでした。
●専門家証言について
このブースには著名な専門家による証言が掲示されているそうです。
天皇をトップとした日本軍の構造や制度を解説。
天皇の責任については、三笠宮が残虐行為について天皇に報告していたことなどを掲示。
wamの会報誌にも添付されていた、2019年アップデートの「日本軍慰安所マップ」も大型パネルで掲示されています。
2000年の国際法廷では、上官責任と行動責任を追及し、天皇と日本の国家責任を認定する内容が展開されました。
そこで、wamは何事も掲示する際に上部に上位を掲示する”常識”に反して、本特別展においては天皇のパネルを下部に掲示したそうです。
●東京法廷の後、「国際戦犯法廷」はどのように報道されたか
朝日新聞、毎日新聞、読売新聞は驚くほど小さくしか掲載してないことが紙面の大きさでわかります。
海外では、天皇に戦争責任があると大きく報道したようです。
例えば、英国ガーディアン紙は「国内メディアが国際戦犯法廷について”報道しない決断”をした」と書き、その他の海外報道も扱いは大きく、自国日本は小さかった。
ここで後日大問題となった、NHKの報道について渡辺館長は言及しました。
メディアとしての自国日本のテレビではNHKが唯一報道。
準備過程から当日まで制作プロダクションと教育テレビ(ETV)がやってきたものの、放映されたのは翌年1年31日。
渡辺館長たちは、このNHKの報道内容は不甲斐ない内容だったので質問したそうです。
そうして、政治家安倍晋三がNHKの番組を放送しないように圧力をかけていたことが、後日の内部告発で分かったことによって大騒ぎになりました。
結局、民事裁判に持ち込まれ、告発した原告は地裁では勝訴したものの、最高裁では敗訴しました。
特筆すべきは、天皇の責任を明らかにしようとしたときに、権力を監視する役割を担うべきメディアが本来の役割を果たせないまま、今現在の忖度するメディアにまでに堕ちた実態をすでに反映していると捉えているそうです。
●天皇の責任と民衆の抵抗
「女性戦犯法廷」では天皇の戦争責任について知っている人・怒っている人のうち、天皇には責任がなくて軍部の方にこそ責任があるという人が大半だったそうです。
そこで、wamでは天皇がどのように戦争に関わっていたか、軍を奮起させるようなことを言い続けていたことをパネルに明文化しました。
天皇制そのものを否定する”抑圧されたこと”について語られた証言も掲示してあるそうです。
証言メモのうち、ピンク色の掲載はコメントを取れたご本人の回想です。
民族問題研究所の資料も掲載。
さらに天皇が発した「戦争責任という言葉のあや」について、著名人の言葉を紹介しています。
著名な詩人・茨城のりこさんは詩「四海波静」を創作。 *下段に掲載
作家・色川大吉は「人間としての道義的責任を取らなければならない」と書きました。
他にも天皇制に怒り、訴えてきた人たちの発言など、
言論風化を維持するために戦ってきた先人たちの言葉も読めるそうです。
●2000年「国際戦犯法廷」は三日間にわたり行われた法廷
国際公聴会は、国際刑事裁判所にジェンダー問題について法令を作ろうとしていたそうです。
日本では沖縄の女性が、1984年の高校生のとき米軍に強姦されたと後日、被害を語ったけれども、当時の町村外務大臣は「軍隊があるから日本は守られている」と答えたとのこと。
そこで、2012年、wam特別展「軍隊は女性を守らない」を開催し、日本慰安所と米軍のことを取り上げたそうです。
しかし、強姦や性奴隷が戦争における犯罪としてローマ法廷にも規定され、
制度的に裁かれることになった「国際刑事規範の発展」もしたけれども、現実的には裁かれていない。
例えば、「ノーベル平和賞が問うもの」パネルでは、受賞者ナディアさんをクローズアップし、彼女は被害者なのに加害者はまだ捕まってないという”現状は変わってない”ことも明らかにしています。
2000年の翌年は9.11があり、その後もたくさんの戦争が続き、20年後の現在も性暴力はまだ武器として続いています。
グアテマラの国際戦犯法廷の公聴会で被害者が証言したことは特筆すべき出来事でした。
グアテマラでは民族衣装を見ただけで、どこの民族・部族かがわかる国でありながら、被害者だった先住民族の女性たちは民衆法廷で危険を承知で戦い、民衆法廷の開催に成功しています。
今度は処罰をしようと2014年、容疑者を逮捕、有罪判決が下り、14人たちは240年の刑となりました。
実際に禁固刑が言い渡され、勝訴までしています。
彼女たちの顔写真は勝訴判定が出てから掲示されたけれども、やはりそれまでは民族衣装を着れなかったとのこと。
今もPKOなどで性暴力は起こっているそうです。
大国の処罰としては、ソ連兵による性暴力も裁かれていません。
満蒙開拓団の女性たちの話もあるそうです
ベルリンも、コール首相の奥様も被害を受けたという話もあるそうです。
あっという間の1時間講演でした。
この特別展を開催中のwamは、コロナ禍でも金・土・日・月曜日の午後1〜6時に開館。
wamのHPでは、女性国際戦犯法廷アーカイブズの映像を期間限定で公開しています。
上記サイトではオンライでも学べるようになっており、webアーカイブズをどんどん整備している途中だそうです。
特別展は今年いっぱい開催されているそうなので、コロナ禍とはいえ、一度は訪問してみたいと思っています。
*参考資料
四海波静(しかいなみしずか) 茨木のり子
戦争責任を問われて
その人は言った
そういう言葉のアヤについて
文学方面はあまり研究していないので
お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる
三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑(えら)ぎに笑(えら)ぎて どよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア
野ざらしのどくろさえ
カタカタカタと笑ったのに
笑殺どころか
頼朝級の野次ひとつ飛ばず
どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味わるい群衆と
後白河以来の帝王学
無音のままに貼りついて
ことしも耳すます除夜の鐘
1975『ユリイカ』11月号(1977『自分の感受性くらい』花神社、所収)