この4月、「語り継ぐべき負の歴史」と題したブログで紹介した、「第15回特別展 国家に管理された性 日本人『慰安婦』の沈黙」が、会期を4ヶ月ほど延長し、11月25日(日)まで展示されることが決まったそうです。

場所は、東京は早稲田のアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)です。

 

2月下旬に訪問した際には、滞在時間が短く悔しい思いをしたのですが、先月、上記カタログが完成したので購入しました。

読み進めるほどにwamで見たときの圧倒された感覚が蘇ってきました。

そこで遅まきながら、目次や本文を引用しつつ特別展の一端を紹介します。

 

 

はじめに(カタログより全文引用)

 “日本人にも「慰安婦」にされた女性がいたー アジア各地から日本軍「慰安婦」として被害を受けた女性たちが名乗り始めた1990年代はじめにも、それ以前からも、そのことはわかっていました。公文書や元日本兵の手記には、アジアの女性たちとともに、日本人の「慰安婦」の存在も記録されていました。 しかし、性暴力や公娼制度から続く国家による性管理を生き抜いた女性を差別する日本社会のなかで、多くの女性たちは沈黙を続けました。それは外国軍や占領・駐留軍による性暴力の被害女性たちも同様です。 女性が自らすすんで性を管理されることを選んだかのように見せるシステム、性暴力を女性に責任があることのようにとらえる視線、被害の告発を許さない社会の空気は、今も続いています。“

 

1 性を管理する国家・日本の歴史〜近代公娼制度から戦後まで

 近代公娼制度とは

 幕末には外国人用の遊郭が開設された 近代公娼制度の確立——性病検査で女性たちの身体を管理

 

・【年表】1859〜1958年に起きた出来事を「女性の性の管理に関する出来事」と「世界と社会の動き」の2項目で列記

 

「1905年 日露戦争と日本軍による性病管理」という項目を例に挙げると、日露戦争の頃、日本軍が占領地で性売買管理のための制度を作り出し、直接関与していた様子を、文豪と著名な森林太郎(鴎外)が軍医として「奉天城内公娼検?顛末報告」(1905年8月8日/陸上自衛隊衛生学校付設資料館「彰古館」所蔵)に報告していたとあります。

 

「其の一 開設の発端」と題した見開きには、1937年7月7日、盧溝橋での軍事衝突をきっかけに、陸軍・外務省・内務省が強姦や性病予防策として慰安所の制度化を図った様子が、イラスト入り図解でわかりやすく解説されています。

 

たとえば、1937年、陸軍大将が女性の調達を依頼した当時の書面など生々しい記録も掲載されています。 各県警察の混乱した状況も公文書に残されており、かくして「軍と慰安所の関係を隠蔽しつつ、国家事業としての軍用慰安所設置を進めた官軍一体の制度が完成し、拡大した」ことも、公文書で裏付けながら解説されています。

 

これらから読み取れるのは、本来ならば国民を守るべき国家が、国民を欺いて、非力な婦女子を陥れて行った権力の罪です。

 

 

2 被害を語った日本人「慰安婦」

 

4人の女性による各1ページを割いた証言のうち、私にとっては特に一人の女性の話が衝撃的でした。大阪の被差別部落に生まれた谷上梅子さんが、自身の激烈な人生を実名で証言しています。貧困の挙句、借金のかたに遊郭へ売られて流れ着いたのが、「九州の八幡製鐵所の側の遊郭」。そこで「7年間、泣かない日はなかった」こと、楼主と警察がグルで客は製鉄所の労働者が多く、1日70人もの相手をしたこと。敗戦後は部落解放運動に没頭し、識字教室に通うなどして自身の半生を著書『心だけは売れへんかったで』にまとめたことがわかりました。私自身もよく知る町名も記録され、まず間違いのない証言だったと思います。この方々はすでに故人となっていますが、戦い続けた魂がいま安らかに眠っていることを心から祈ります。

 

 記録された日本人「慰安婦」〜手記・証言・公文書

 

主に東南アジアの約20の地域で得た文献資料が再編集されています。 「兵士その他による目撃証言の記録が圧倒的多数を占める」とあるとおり、「兵士たちが特に日本人で慰安婦にされた女性たちに対して、どのような眼差しを向けていたのか」がわかる内容となっています。

 

たとえば、1932年1月、第1次上海事変が始まった頃。上海の日本軍が増員され、海軍が慰安所を設置した記録などが公文書でも確認でき、設置に関与した軍人本人の証言だけではなく、戦況とともに増加した慰安所の様子を語る中国人や日本人慰安婦たちの生々しい話が紹介されています。

 

また、「特殊慰安婦検診の状況」(南京・蕉湖)「第15師団軍医部『衛生業務要報』1943年1月1日—31日」には、この1ヶ月間に、軍医の検診を受けた特殊慰安婦の延べ数と不合格者数があり、「内地人」として南京での検査延人員が1007名など具体的な数字の他、当時の所轄の押印も見て取れ、関係者による様々な証言を裏付ける資料となっています。

 

 

3 敗戦直後の性暴力被害

 満州引き上げ時の性暴力

 帰国後の女性たちと日本社会

 占領軍兵士のための慰安所・RAA

 米軍長期駐留下の女性に対する暴力

 戦後の性売買と国家管理

 

敗戦後の性暴力被害についても、目を覆いたくなるような記述ばかりです。 様々な性暴力にさらされた証言は痛ましい。たとえば、国家に欺かれて集められた女性たちは、国策として作られた「特殊慰安施設協会」(RAA)によって人生が狂わされました。悲惨な体験を心ならずも受けてしまった彼女らが、なぜ非難され蔑まされるのかがわかりませんし、激しい憤りを禁じ得ません。

 

これら壮絶な記録は、しかし長年語られないままでした。 「近年、声が上がっているのは、また戦争が起こるのではないかという不安が高まる中、あのような惨劇が繰り返されるのではないか」という願いが証言者たちを動かしているようです。 ひるがえって、このようなことを知った私たちも、忘れてはならない記憶として語り継ぐべきなのかと思います。 戦争が人間を狂わせた。そしてまた、戦争がない時代も同じようなことが繰り返されてはならない。

 

最後の一文が、私たちが取るべき指針になるでしょう。

「誰もが人間らしく生きられる社会制度を作り、根本になる性差別の根絶を合わせて実現して行くことが急務です。」

 

 

上記に少しでも心に引っかかるものがある方は、ぜひ特別展へ足を運ぶことをお勧めします。

 

「第15回特別展 国家に管理された性 日本人『慰安婦』の沈黙」は、11月25日(日)まで、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)にて開催中です。