地元北九州で「慰安婦」問題に長年取り組んでこられたのが、

「日本軍『慰安婦』問題解決のために行動する会・北九州」

です。

事務局の野口千恵子さんにお話を伺うと、開口一番、

「この問題について語るとき、慰安婦という言葉に、なぜ「 」を付けると思いますか?」

と訊かれました。

 

「“慰安婦”になりたくてなった女性はいません。

日本軍に“強制的に性の奴隷にされた女性”たちは、

どう説明されようと“被害者”なのです。

 

この問題は、彼女たちの人権を踏みにじられた被害者”の問題として扱わなければ問題の本質がわからなくなります。

 

だから、「慰安婦」と「 」でくくって問題を明らかにしているのです。」

 

私たちはうなずく他ありませんでした。

 

「若干15・6歳の年端もいかない女の子も含んだ多くの女性(慰安婦)が収容されていたのが慰安所です。

 

そこができたきっかけは、日本軍による強姦事件が多発したことでした。

 

日本軍は戦力を落とさないため、

すなわち兵士たちによる強姦多発・性病蔓延の防止、

兵士たちのストレス解消や売春宿に通うことによる機密漏洩を防止する機密保持のために、

それらの吐け口を性行為に向けさせる慰安所を作り、

各地から連行した慰安婦を置きました。

 

また、慰安婦には儒教の国として結婚前の性交を悪とする韓国の未婚、特に10代前半の女性が適任とされ、ある者は騙され、ある者は強制的に日本軍に連行されたのでした。

 

これらの慰安婦に関する歴史的事実について、大新聞社は“すでに解決したこと”として、もう何も発信しようとしません。

 

現在、生き残っている慰安婦たちはお金が欲しいのではなく、

事実を認め、謝罪してほしいのです。

 

私たちは、彼女たちのこの願いを受け止め、

歴史的事実である過去の愚かな行為を記録に残し、

記憶として伝えるため、

日本国民や若い人たちに2度と同じ過ちを犯さないように知らせる活動を続けてきました。」

 

教科書に「慰安婦」問題を掲載する、いわゆる教科書問題が大きくなったのは2006年頃。

 

この問題に関心をもった野口さんはさまざまな人と交流して、2010年、全国的なネットワーク「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動2010」を知り、同年5月、地元北九州に「日本軍『慰安婦』問題解決を行動する会・北九州」を立ち上げたそうです。

 

そして、2017年夏、私たちKプラネットは野口さんたちの活動に出会いました。

 

 

(#1-3へ続く)